[壮月一八]
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2007.02.14(Wed)


明日は「春一番」が吹くとかどこかで言っていましたが、どうなんでしょう?
でも「春になりました」って発表された後の方が寒かったりするんだから、天邪鬼はどこにでもいるってもんですね。えーい、洋服の調整が難しいんだよチクショウ!

今日(あ、もう昨日だ)はオトモダチが遊びに来てくれまして。
ゲームしたり話したり、とてもまったりとした午後を過ごしてよかったんです。
だけど、彼女のとても濃い人間関係の話を聞きながら、ふと思った。
私、ケンカしたことあったっけ……?

ありますか?ケンカしたこと。
以下、そんな話を長々と。


私はあまり感情の起伏がある方ではない、と思う。特に負の方向に。

「好き」なものに対しては、そりゃぁ盛り上がる。他人に押し付けたり、ひとりニヤついたり、始末におえないくらい。(最近は本当にひどいよね!)
でも「怒る」とか「悲しむ」という感情はあまり持たない。自分が怒ったり悲しんだりした場面を思い出そうとしても、それはひどく難しい。
「チクショウ」だとか「バカじゃねえかコノヤロー」とか「あぁもう泣きそう」とか言っていても、それは上っ面の方だけの感情で、本当に腹を立てていたり悲しんでいたりするわけじゃない。
なら、私はそういう感情をどういう風に自分の中にしまい込むのかと考えてみると、おそらく「まぁいいや」という妥協精神で折をつけている。
「チクショウ腹立つなぁ!」でも「まぁいいや、どうにかなるし」。
「あぁもう泣きそうだよ」でも「まぁいいや、そんなこともあるさ」。
まあ、便利といえば便利。「怒る」とか「悲しむ」という感情はめでたいものではないし、人生楽しいにこしたことはない。(ちなみに、嫌いなものに対してはその存在から極力離れるから、それに対して「怒る」ことも「悲しむ」なんてこともなかなかない。)

でも、だから、私はケンカをしたことがない。むしろ、ケンカって何?という次元。
怒りのぶつけ合い?想いのぶつけ合い?
―――よくわからない。

よく、「お母さんとケンカしました」と聞くけれど、私は母とも(父とも)マトモにケンカなんてしたことがないと思う。
母は私に対して怒るし小言を言うし、それを煩く感じることもある。でも、それはそんなもんだと私は思っている。煩いけどまぁいいや。母はこういう人だから、放っておけばいいさ。そう思うから、私はケンカなんてしない(母はケンカしたい様子だけど。こちらからの返答を待っている)。
一番身近であるはずの母ともケンカした事のない私が、トモダチとケンカすることがあるか?
……おそらく、ない。

私は文句はつけるけど、怒っているわけじゃない。じゃあ何だ、と聞かれると詰まってしまうけれど、「怒る」とかそんなたいしたものじゃないのは確かだ。私の不満なんて「まぁいいや」で解決されるくらいのものに過ぎない。

だから、ケンカをするということが少し不思議に思える。なんでわざわざ面倒な。放っておけばいいじゃないか。別に腹を立てるまでもないじゃない、そんなの。
けれど、<ケンカで人はより仲を深める><ケンカするほど仲がいい>ともいう。何、ケンカもできないようじゃダメってこと?ケンカっていいこと?
―――わからない。

ケンカをするには、どうしても負の方向への大きな感情のゆれが必要だと思う。
楽しいだけの生活なら、ケンカは起きない。何か不満という負の方向性があるからこそ、ケンカが起きる。そしてその負の感情は、相手に伝えないとどうしようもない、というくらい大きくないとケンカにはならない。そんな大きな感情、私にはない。
そうすると、私がケンカをするには、やはり大きな感情を持つことから始めないといけないわけか。面倒くさいなぁ。……あ、コレは厳禁か。

でも何でみんな怒ったりするんだろう?
っていうか、怒ってるのかな?どうして私は怒らなくて「まぁいいや」でいいんだろう?

……それはもしかして、私が人間関係に恵まれているからか?

カチン、とくるようなことを言われたりされたりしても「まぁいいや、この人はいい人だから。」と思えるような人と付き合ってこれたから、「まぁいいや」で過ごしてこれたのかもしれない。だからケンカなんてする必要がなかったのかもしれない。それは本当に幸せなことだ。
狭く深い私の人間関係は、いったんヒビを入れてしまえば全て崩れかねない。それなのに今まで上手く保ってこれたのは、周りがいい人であったからなのか。
そう考えていいのなら、自分の感情の起伏が少ないことすら笑い話として話せる。

情緒性が豊か、と言われたのはいつのことだったか。
「きっと大切に育てられたのね!」
「きっとみんなの愛情を受けて育ってきたのね!」
……そうだね。でも、私に情緒が全て備わっているわけではないよ。情緒、というのは正の方向の感情のことばかりをいうわけではないでしょう?
私は「怒り」や「悲しみ」を理解することはできる。でも、持つことはなかなかできない。これがいいか悪いかなんて、誰が決定できる?できるもんならやってみろ。

あぁ、「まぁいいや」って便利だ。
こんなわからないことに対するモヤモヤですら折をつけてくれるよ。


こんなわたしだからひとをすきになることもないのかな?
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